はじめまして、こんにちは

今日からブログ始めます。

動機

しかし、世の中の移り変わりというのは、その中に居るにも関わらず、渦中の当事者にはなかなか気付かないものだ。

私は昨年まで30代だった理系の男性である。「理系」と称するのは、おそらくそれが自分のアイデンティティの根幹にあると自認しているからだろう。

私は、会社員である。エンジニアとして、まぁまぁ大きな企業に正社員として勤めている。なので、生活自体は割と安定している。ただ、繁忙である。会社にとって有意義な仕事が5割、その他が5割という感じだ。なかなか大きな予算規模の案件を毎年のようにこなしているが、ぶっちゃけ、誰にでもできる仕事だろう。私は、会社からの評価も悪くはないが特に良くもない。たくさんいるモアイ像の中の1体でしかない。

最近、会社に貢献することに熱意を傾けられなくなった。以前は22時過ぎまで働く場面も珍しくなかった。会社を想って色々と頑張ってやってきたが、振り返ってみると会社からの見返りは別にない。それは業務命令に従ってマジメに仕事をし、対価が支払われる、という当たり前の関係性であるが、頑張っていたころの自分はどこかで「自分の頑張りには価値があり、それも評価につながる」と勘違いしていたのだろう。

頑張りとか、努力とか、熱意とか、その辺てどこまで行っても自己満にしかならないことに気付く。言葉を選ばなければ「頑張ってもあんまり意味ない」と考えるに至った。もちろん、仕事中は全力で仕事はしているが、評価を得るというのは会社や顧客の役に立つということではなく、会社の要求に如何に沿うか、であることに気付くのが遅れた。この点についてはまた別で執筆してみようと思う。

私は、3年前に父親になった。そして今年、二児の父となった。

今は育休中だ。とても大変だが、楽しくもあり、おそらく20年くらい経ったら、とても大切で懐かしい思い出を育んだ時期として認識するのは容易に想像がつく。

で、ふと思ったんだよね。自分が死ぬとき、何が大切な記憶だと感じるのか、と。

冒頭、世の中の移り変わりというワードを使った。会社への熱意低下と、プライベートでの出来事が重なった今、さらに一歩引いた目線で自分の生き方について、少し立ち止まって考えた。

うちの会社は確かに大きいが、実はグローバルで見ると業界の中での地位は低下してきている。正直、10年後にどうなっているかは本当に読めない(倒産やクビにはならなそうだが)。ついでに言えば、今の会社ではこれ以上の給与アップはあまりコスパが良くなさそうだ、というのもある。そんなこんなで、従来の価値観でいう「今の会社に貢献して頑張って出世」が何となく基軸にあるような人生観の虚無とリスクの高さに気付いたわけです。

ぜひ見直しを図りたい。

ということで、とりあえずブログでもやってみっかな、っていう。考えや出来事を文字にして記録することで何か見えてくる気もする。文章考えるのは好きだしね。

※ブログという開かれたものを選んだ理由としては、会社以外の人間とのつながりがあっても悪くないな、という観点もある。